馬の豆知識

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馬の進化1 ~馬の最古の祖先~-

人類の発祥の地はアフリカ大陸と言われています。

アフリカ大陸で誕生した人間の祖先はヨーロッパやアジア大陸へ広がり、長い年月をかけてそれぞれの土地の環境に適応するようになり、最終的にアメリカ大陸に到達したとされています。

対して馬の発祥の地は北アメリカ大陸と考えられています。

馬の祖先は人類が誕生するはるか昔から存在しており、北アメリカ大陸を舞台に進化を繰り返し、人類とは逆にアジア大陸、ヨーロッパ、アフリカ大陸へと広がっていったとされています。

はるか昔の馬の祖先は現在の馬とは体の大きさや形、肢や歯のつくりなど現代の馬とは全く別の動物と思えるほどの違いがありました。

そこから何千万年という途方もない長い時間をかけて馬は徐々に体を進化させていったのです。

ヒラコテリウム(エオヒップス) (約5200万年前)

ヒラコテリウム

【ヒラコテリウム(エオヒップス)の想像図】

馬の最も古い祖先がヒラコテリウム(エオヒップス)です。

ヒラコテリウム(エオヒップス)は今から約5200万年以上前には既に北アメリカ大陸に存在していたとされており、和名ではアケボノウマと呼ばれることもあります。

体高はおよそ25cm~45cmでキツネと同じようなサイズだったと推測されており、すでにこの頃から走ることに対しての進化が始まっているために肢は現在の馬のように体に比較して長かったとされています。

指は前肢と後肢で元々はそれぞれ5本ずつありましたが、進化の過程で前肢は第1指が退化し4本に、後肢は第1指と第5指が退化し3本になっています。

また、ヒラコテリウム(エオヒップス)の歯の化石は現代の馬と比べてきわめて未発達な形状で発見されており、大臼歯は葉を削りやすい形になっていました。

このことからヒラコテリウム(エオヒップス)は湿地の多い森林の中を歩きまわりながら若芽や草木の柔らかい葉を常食として生活していたものと考えられており、斑点のある毛色は森林で生活していく上で目立ちにくい保護色となっていました。

約200万年かけてヒラコテリウム(エオヒップス)は進化し繁栄しました。

さて、ヒラコテリウムとエオヒップス、なぜ二つの名前の呼び方があるのでしょうか。

ヒラコテリウム(エオヒップス)の化石は1830年代にイギリスで初めて発見されました。

しかし、当時はその化石が馬の祖先のものであるとは考えられていませんでした。

そして、頭蓋骨の特徴や目の位置、歯の形などからその化石はイワダヌキ科に属するハイラックス(写真)という生物に近いと判断されたのです。

ハイラックス

【ハイラックス(イワダヌキ科)】

その化石には「ハイラックスに似た獣」を意味するヒラコテリウムという馬には全く関連のない学名が付けられました。

それ以降もヨーロッパで同じような化石が発見されましたが、どの化石もウマ科動物との関連付けはされず、馬の先祖の化石とは思われていませんでした。

そしてその後、北アメリカ大陸で馬の祖先の化石がたくさん発掘されます。

その発掘された化石を時代順に並べると馬の進化の過程、体の大きさの変化や肢の変化などがとてもよく分かるものでした。

北アメリカ大陸で発掘された化石はギリシャ語で馬を意味するヒッポスにちなんで◯◯ヒップスと次々に命名されていきます。

その中で始新世(エオシーン)の地層から発掘された最も古い馬の祖先には「始新世のウマ」を意味するエオヒップスと名付けられました。

しかし、ここで困ったことが起こります。

このアメリカで発見されたエオヒップスは実はかつてイギリスで発見されたヒラコテリウムと同じ生物だったことが判明するのです。

命名されたのが早い方を正式な名前とする決まりから、馬とは全く関係のない名前であるヒラコテリウムの方を正式な学名とせざるを得なくなりました。

ただ、エオヒップスの名称の方が生物自体の位置付けをよく表していることから書籍などではエオヒップスの方を表記する場合もあります。

discovery of Hyracotherium

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