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馬の子育て

【馬の豆知識】

・馬の子育て

動物によって子育ての方法には違いがあります。

草食動物における母子の関係はハイダーズとフォロワーズという二つのタイプに分類することができます。

 

ハイダーズは普段は母子であまり一緒にいることがなく、子供同士で遊んだり隠れ場所で休んだりしており、母子で一緒にいるのは授乳の時ぐらいです。

ウシやヤギなどがこのタイプに属し、これらの動物は森林や山岳などの身を隠すのに都合のよい場所があるところで生活し進化してきました。

 

対して、フォロワーズと呼ばれるタイプは常に母子で仲良く行動するタイプで、馬はこちらのタイプに属します。

牧場にいる離乳前の馬の親子を見ると母馬と仔馬で仲良く一緒にいますね。

このタイプには馬のほかに、ヒツジやラクダなどがいます。

これらの動物には草原などの身を隠す場所が少ないところで生活し進化してきたという共通点があります。

 

同じ草原動物でも生活環境によって子育てや親子関係にも色々と違いが生まれるのですね。

馬の親子

 

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馬の顔に似た花

【馬の豆知識】

・馬の顔に似た花

以前にブログでタツノオトシゴをご紹介しました。https://www.minnano-jouba.com/blog/word/%e6%b5%b7%e9%a6%ac.html

タツノオトシゴは漢字で書くと「海馬」と書き、英語では「seahorse」と呼ばれています。 これはタツノオトシゴが馬の顔に似ていることからこういう呼び方になりました。

そして、花にも馬の顔に似たものがあります。

コマクサ(駒草)という花がその花です。

コマクサ

確かに馬の顔の形に似ていますね。

コマクサの名前の「コマ」は漢字で「駒」と書きます。

この「駒」は「馬」という意味でも使われています。馬の子供のことを「産駒」と言ったりもしますね。

コマクサは本州の中北部から北海道に自生するケシ科の多年草です。

毎年5月から咲き始め、6月上旬ごろまで見ることができます。

コマクサは高山帯で孤高を守り、咲く姿から「高山植物の女王」とも呼ばれており、他の植物が生育できないような厳しい環境でも生育することができます。

花言葉は「高嶺の花」・「誇り」・「気高い心」・「貴重品」など。

なかなか見る機会のない花かもしれませんが、夏山を目指す登山者の方たちに人気のある花のようです。

私は一度も見たことがないので、是非一度見てみたいですね。

駒草

 

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戦争と馬

【馬の豆知識】

・戦争と馬

昔は馬は戦争で使われていました。

競馬でさえも戦前は軍馬の資質を上げるために開催されていましたし、馬術は戦場における騎兵の戦いの動作を様式美にまで発展させたものだと言われています。

 

馬が人間によって家畜とされたのは今からおよそ6000年前とされています。

馬が家畜化されるとほどなくして戦争に使われるようになりました。 モンゴル帝国などの馬を有効活用した民俗は戦争を有利に進めることができ、大きく領土を拡大することができたのです。

そして、馬を戦争に有効に活用し栄華を極めたのがナポレオンです。

1812年、ナポレオンはモスクワ遠征におよそ18万頭もの軍馬を連れて行きました。 18万頭といえば、今現在日本で繋養されている馬の数よりはるかに多い頭数です。 この時期が馬を騎兵として使われたピークの時期といえるかもしれません。

しかし、戦争兵器の進化とともに馬の兵器としての役割が終わることになります。

1939年、ドイツの戦車部隊がポーランドに侵略します。 このドイツの戦車部隊に対してポーランド軍は騎兵隊で反撃を試みますが全滅しました。 この年を境にして馬は戦争兵器としての役割を終えていくのです。

戦争と馬

 

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日本釧路種

【馬の豆知識】

・日本釧路種

馬は現代では主に乗用馬や競走馬として使われていますが、昔は馬は戦争のときの軍用馬としても使われていました。

日清戦争、日露戦争で外国の改良種の軍馬と初めて対した日本は国産馬が外国の改良種に比べてはるかに能力面や体格面で劣っていることを痛感します。

そこで、軍馬の生産・育成に力を入れるために外国から改良種を導入し誕生したのが「日本釧路種」です。

 

日本釧路種はフランス産のペルシュロンと日本在来馬をもとに改良が加えられました。

日本釧路種は日本人の体格に合った小柄な馬で(体高約148センチ)、持久力や脚力も備えており小さな体の中にもパワーを備えていました。

 

この品種の誕生の中心となった釧路の生産者である神(じん)八三郎(1866年~1955年)はおよそ5000名もの釧路の馬農家たちをまとめてリーダーシップをとりこの日本釧路種をつくりあげます。

そして、1932年(昭和7年)には国産馬として初めて新品種として農林省に登録されました。

 

日本釧路種は戦場で活躍しました。

大型の軍用輓馬たちが疲労し、倒れていく中で日本在来種はその持久力を発揮しました。

 

しかし、終戦により軍馬の需要がなくなるとともに日本釧路種も役割を終え、その姿を消すことになるのです。

日本釧路種

【JR根室線、大楽毛駅の前には日本釧路種の像が立っています。 画像提供https://blog.livedoor.jp/miyanomayu3/】

 

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